魚に羽根が

翼のある魚の絵

美大に行けなかった話

スネップ仙人さんのブログの
snep1000.hatenablog.com

この記事を読んで、自分のこともちょっと描いてみようかと思いました。いつも通り個人的なことしか書いてないです…
こちらの記事も参考にさせていただきました。
www.ishikawayulio.net
www.mikinote.com


私は子供のころから絵を描くのが好きで、図工の成績はよかったです。
まともな絵も描いていましたが、ちょっと変なことをする子供だったと思います。
小学生のときクラスのみんなで街を作るという授業がありました。大きな紙に地図を描き、生徒がお菓子の箱などを使って自由に家やビルを作って配置していく作品です。
私はただの白い箱にひたすら「死」という文字を細かくびっしりと書き、ひび割れとひび割れの修繕の跡をつくりこんで
「お化け屋敷できた!」
と喜んでいました。
中学生になると安い針金で骨格標本を作ったり、テッシュで作った芯に仏壇用の蝋燭(安い)をたらしてユニコーンなどのオブジェを作っては最終的に火をつけて燃やすなど変な子でした。

しかし前回の記事にもあるように家が非常に貧乏だったため、高校は介護の資格がとれるところにすすみ、高卒で就職することが決まっていました。
介護・看護の資格を取るための高校なので、美術の授業そのものがありません。私は絵画部に入部しましたが、部員は私一人でした。部室は倉庫だし、部費も年間数千円で大した画材は揃いません。
私は入選はするものの、大きな賞はとれませんでしたが、自分の好きな絵を描いて部活を楽しんでいました。

進路の話がでるころ、部室に高校生の絵画コンテストの募集が届きました。それは一番いい賞で50万円の賞金がでるものでした。
私はもし賞金が当たれば、奨学金を借りながら美大に行くことを許してもらえるかもしれないと少し期待しました。部室には美大のパンフレットも届いており、憧れがあったのです。

私は媚びても仕方がないと、自分の好きな絵を描きました。
眼球と歯茎を剥き出しにした青い脳味噌人間が、フォークとナイフを持ってベルトコンベアから流れてくる蝶や魚を貪り喰うという絵でした。
結果は近畿地方では一番だったものの(近畿出身です…)賞金には全然届きませんでした。

ちなみに賞金を獲得した人は絵ですらなく、
荒い画質のきゅうりの写真に白丸に点があるだけのテキトーな目を描いて、画用紙の余白に[勉強嫌い、仕事したくない、でも彼女がほしい]というようなことを明朝体でプリントしたものでした。

私はその絵は好きではありませんでしたが、発想で負けたと思いました。
その賞金を獲得した人が私と同じ県出身で、余計に悔しかったです。

その後、絵は郵送で返却されるかと思いきや、主催団体の委員の方が直接高校まで持ってきてくれることになりました。高校はすごく田舎なので、わざわざこんなところまで!?と驚きました。
委員の方は記念品と絵を渡してくださり、
「どこに進学するの?」
と聞きました。私が
「就職するんです…」
と答えると彼は
「もったいない。もっと伸びると思う」
というようなことを言って、帰っていきました。無責任といえば無責任な発言ですが、私はとても嬉しかったです。

母にそのことを話し、美大に行きたい気持ちがあることをなんとなく話すと、母は
「その人がお金だしてくれるの?」
とぶっきらぼうに言いました。

私だって高校すら奨学金で行っているのに、50万円が当たったところで絶対に進学できないことはわかっていました。進学のお金がないというより、働き手にならなければいけませんから。
でも親が子供にお金をださずに、他人が出すわけない。
無理なのはわかっているから、せめて謝ったり労ったりしてほしかった。


私は子供がもし美大に行きたいと言ったら、本当にやる気があるのか精査して、そして行かせてあげたい。別に絵で食べていく必要はないですから。
美大に行ったけど芸術と関係ない仕事をするのもありだと思います。

私はというと、趣味でちょぼちょぼまだ描いています。
ある意味進学して自分の才能のなさに絶望するより、井の中の蛙で自分には才能があるかも!と思いながら今を生きているのが幸せかもしれません(ポジティブ)。
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数年前100均のノートに描いた歯がいっぱいある妖怪の絵

絵に関する過去記事
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貧乏なことがわかる過去記事
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