躁鬱病的要素をまじえた祖母の話
祖母は近所ではちょっと変わったら婆さんで通っていたのだが、私が小学校高学年になるまで精神科にかかったことはなかった
普段は異常なまでの食欲とテンションの高い狂暴性をもつのに、
時期が来ると突然 死にたいを連呼し(死ぬ気ナシ)、食欲が落ち、ネガティブなことばかり言って孫まで責めてくる
小学生の孫に
あんたらが死ねば保険金がはいるのに!
と言い放つ
躁鬱スイッチは祖母自らの脳内物質のせいで切り替わり、家族にサポートできることなど何もなかったことを理解していただきたい
驚くべきことに、いびられまくっていた私の母は鬱状態の祖母を割りと気にかけて、世話をしていた
母も狂っている
躁でも鬱でも共通していたのは性格の悪さと、常に独り言を言うこと(思考していることがダダ漏れ)、そして攻撃性
躁のときは訪問販売員から妙な買い物をしたり、近所の人にケンカを売ったり、あることないことを言いふらかすので、祖母に学校であったことなどを報告することはタブーであった
祖母が初めて精神病院に行ったのはイラク戦争のころだったと思うのだが、記憶が定かでない
アメリカ人が来て、××される!
みたいなことを言い出し、裸足で外に駆け出す、風呂に入らず食事をほとんどとらないなど奇行が目立ち、病院に連れて行ったら即入院が決まった
病院ではシーツを破いて首を吊ろうとするなど(死ぬ気ナシ)かなりアグレッシブで、シーツ代とか破損したものの費用が余分に嵩んだ
祖母が同室の患者の帽子をやたら羨ましがるので、同室の人が帽子を盗られまいと、就寝中の祖母の首を締めるなど、楽しいハプニングもあったが祖母は元気に退院した
その後は薬を飲んだり、飲まなかったり、
加齢による体力の衰えで以前ほどの影響力はなくなったが、病院に行き、服薬したからといって祖母の何が改善されたとも言えないのが、躁鬱って大変な病気だね、というところでしょうか
一生ものだから
祖母の現状も相変わらず酷いのだが、また機会があれば記事にしたい